HEISEH_outlaw’s blog

俺のアウトローな人生。お前らの知らない世界を俺は知ってるぜ?

【少年院生活が始まる】

初等少年院送致とする」

この一言で俺の1年間の拘束が決定した。

今思えば1年間なんて、と思うくらいだが、その当時の1年間はものすごく先に思えた。

 

俺は当時中3の歳になっていたから、卒業式に出られないのは明白だった。

 

少年院送致が決定し、また鑑別所に戻される。

朝乗り合いしていた少年は、減っていた。

恐らく外に帰ったんだろう。

羨ましかった。

俺は一刻も早く外に出てタバコを吸いたかった。

またみんなと遊びたかった。

 

でも、もうどうしようもなかった。

どこの少年院に行くかが決まるまで、鑑別所で生活をすることになるらしい。

遅くても1週間ということだった。

 

また入所手続き。

慣れたもんだ。

"オヤジ"と呼ばれる教官がいた。

「〇〇帰ってきたのかぁ。少年院しょうがねぇな、しっかりやってこいよ」

そんなことを言われたが、俺の心には響かない。

そのオヤジとは仲が良かったが、その時ばかりは耳に入らなかった。

 

結局行く先の少年院が決まったのはその数日後。

俺は教官に呼ばれ、部屋を出された。

他の部屋に連れて行かれ、少年院の説明を受けた。

瀬戸少年院

というところだった。

f:id:HEISEH_outlaw:20201011225516j:image

 

驚きだったのが、リュック眼鏡ヤンキーもそこにいるとのことだった。

共犯が同じ少年院に行くことはたまにあることらしい。

ちなみにイケメン高身長野郎は、県外の遠いところだった。

俺は少し浮き足立っていた。

再逮捕の時期が一緒だった、ということもあり、瀬戸少年院にいくタイミングもほぼ、ばっちり一緒だった。

なぜかホッとした。

しかし場所は少年院。

ルールがだいぶ厳しいらしい。

色々説明を受け、どういう教育があるのか全て把握した。

入院したてのやつは、新入時教育というのを受けるらしい。その後4段階くらいにわかれ、教育が行われるということだった。

出発は数日後。

 

俺はどんなところだろう。と緊張していた。

見栄だけは崩さないでおこうと決めていた。

俺の心はまだヤンキーだった。

 

出発当日、鑑別所の教官に連れられ、瀬戸少年院に向かうことになった。

ここでもやはり、手錠だ。

もう慣れている。

 

どのくらい車で走っただろう。

やっと到着した場所は、山とまでは言わないが、周りがのどかで、すごく静かなところだった。

 

入所室みたいなところに連れて行かれる。

俺は肩で風を切り歩き、教官にも生意気な態度だった。

色々質問をされたが、生意気な態度で全て返していた。

俺の見栄はそこで一瞬にして潰された。

3人くらいの教官に、一斉に詰められた。

罵声をあび、しつこく怒鳴られた。

「まじかよ、少年院ってこんなとこなのか」

俺は少年院の厳しさを悟った。

同時に萎えた。

こんなところで1年過ごせるかよ。

そんなことを思い、しぼんでいた。

それでも見栄は、張っていた。

何食わぬ顔で罵声を受けた。

だけど、心は沈んでいた。

 

ひと通りの言い合いと、荷物の整理を終えたとこで、部屋に案内される。

訳の分からない道を教官について歩く。

バスで到着したでかい建物は、教官用の建物らしかった。その建物の奥に入っていき、広々とした土地がその奥に広がっていた。

平屋の寮がいくつも見えた。

その周りでは、草刈りをしている帽子を被った坊主頭たちがいた。

こっちをチラチラ見ているやつもいたが、そいつは教官に怒鳴られていた。

俺は本当に新入りの気持ちだった。

右も左もわからない。

そしてある寮に通された。

そこは単独室がずらっと並ぶ寮だった。

名前は確か、考査寮だったか。

そこに入ると、すげーでっかい声で

「はい!!!」

「お願いします!!!」

とかいろんな声が聞こえてきた。

「先生失礼します!!質問よろしいでしょうかぁ!」

 

おれはぞっとした。

なんだここは。

こんな大声でなにを言ってる。

俺は衝撃をうけた。

そんなことを思いながら、部屋についた。

 

部屋は、

単独室になっており、鑑別所とは違い、硬い畳のベットがあった。

床はコンクリート、全部で3.4畳くらいだろうか。

部屋に入ってすぐ右側には洗面台。

壁もなにもない丸見えの便器。

次にベッド。

その横にパイプの机と椅子だ。

その奥には鉄格子がかかった窓がある。

質素な部屋だった。

色々な服を渡された。

チノパンにカッターシャツ

部屋着のグレーのスボンとグレーのTシャツ。

細すぎるベルト。

パンツ、靴下、筆記用具、鞄など色々と渡された。

名前入りのバッジも渡された。

 

話を聞くと、

この少年院には、7つの寮があるみたいだった。

1〜5学寮。そして6学寮。もう一つは考査寮。

俺がいるところだ。

期間別に級がついているらしく、

2級下(白バッジ)3ヶ月

2級上(黄色バッジ)3ヶ月

1級下(緑バッジ)3ヶ月

1級上(赤バッジ)3ヶ月

と進級していく仕組みらしい。

毎月成績表を渡され、進級式というものが行われるみたいだった。

3ヶ月毎に成績が良ければ次の級に進める。

その成績というのは、基本的に生活態度や、人間関係など。

 

もちろん俺は白バッジを渡された。

その白バッジの時期というのが1番キツイみたいだった。

考査寮という、今俺がいる寮には、

確か4週間滞在し、この少年院のルールや厳しさを徹底的に教え込まれる期間となっていた。

 

そしてその後、集団寮という20〜30人で生活をする、

1〜5学寮に分けられるみたいだった。

 

本当に色々なルールを説明されたが、

この期間で暗記しなければいけないというものを提示された。

それは"遵守事項"というものだった。

少年院で絶対に守らなければいけないルールだ。

それに反すると、進級できず、少年院の滞在期間が伸びるぞというものだった。

内容は、ほんとに少年院独自のものだった。

48項目くらいあった気がする。

それを全て暗記して、すらすら言えるようにしろとのことだった。

人のものを盗むな、毛を抜くな、刺青を入れるな、大声を出すな、喧嘩するな、人と喋るな、色んな簡単なことが難しい言葉で並んでいる。

そして、ここでいう教官は"先生"と呼ぶらしい。

 

全てが上の空だった。

なんだここは。

全てはその言葉に尽きた。

 

俺は先生に呼ばれた。

「はい」

返事をした。

「声が小せぇっ!!!」

いきなり怒鳴られた。

鉄のドア越しに、返事のデカさの練習が始まる。

はいっ

はいっ!!

はいっ!!

はいっ!!!

 

よし、出てこい。

こんな感じだった。

 

長い廊下に新聞が引かれ椅子が置かれている場所があった。

断髪式だった。

俺は髪を伸ばしていた。

坊主にされるのは野球時代以来だった。

俺は結構なショックを受けた。

先生がもったバリカンが頭を回る。

全て丸っと刈られた。

 

少年院生活が始まった。

俺は坊主になった自分を鏡で見て、相当落ち込んだ。

 

今日から1年間、少年院生活が始まる。

 

つづく

 

※ここからは、少年院生活編が続きます。

中での内容を記憶の限り、詳しく書いていきます。