HEISEH_outlaw’s blog

俺のアウトローな人生。お前らの知らない世界を俺は知ってるぜ?

−中学編−犯罪にどっぷりはまる

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俺は中学に上がり、中2で野球を辞めた。

 

少し後悔はしたが、遊びたい気持ちの方が強かった。

 

野球のせいで坊主だった頭も、ブリーチで色を抜き、制服も派手になった。

 

単ラン、ボンタン、裏ボタン、色々とヤンキーのなかで流行っているものを身につけたし、学校に行くのも不規則になった。

 

生活習慣も昼夜逆転し、バイクにも興味を持ち始めた。

知り合いが乗っていた原付を借りては、運転の練習をするようになった。

あれは、中2の初めの頃だったかな。

 

自分の原付じゃないことに、モヤモヤしていたが、中2で原付に乗れる、ケッタより速くて楽だし、かっこいいってことに満足していた。

 

喧嘩も、もちろんたくさんした。

今となっちゃ恥ずかしい言葉だが、タイマン。

これが流行っていた。

 

その頃、ヤンキー漫画もたくさん流行っていて、どこの中学が1番つえーのかとか、この学校で1番強いのは誰だとか。

 

そんなことにも憧れていたから、自分の地区の中学校に出向いて、誰が1番つえーんだって言って回っては殴ってを繰り返していた。

 

自分の中学でも、喧嘩強くなるために鍛えるぞ。

なんて話して、毎日スパーリングするかのように喧嘩の練習もした。

タイマン公園。なんて名付けた、喧嘩の練習用の公園なんかもあったな。

 

そんなことをしていたら、当然名前も知れ渡ってくる。逆に色んな話や、噂も耳にする。

 

そんな中2の半ば頃、隣の中学に原付の盗める悪いやつが引っ越してきたっていう噂を耳にした。

 

俺の一個下のそのころ流行ってた、チャラ男みたいな後輩がそいつとアポをとって、俺も出会った。

 

そいつは同い年で、リュックを背負ってメガネをかけた金髪のやつだった。

 なんか真面目なのか、悪そうなのかわからんな。

と思いながらも、

 お前原付盗めんの?

っていう会話から始まって、その日のうちに俺はこの原付をパクってくれと、持ってきた。

 

そいつのリュックには原付を盗む全ての工具が入っていたんだ。

 

中は全てドライバーやニッパー、ハサミ、ビニールテープなど、全て勢揃いだった。

 

俺が持ってきた原付を見るなり、器用にフロントカバーを外し、配線を切り、『直結』させ、キックを踏みエンジンをかけた。

 

話には聞いたことあった手口だったが、いざ目の前にすると、興奮した。

これが初めての本当の犯罪を犯した日になった。

 

そして、その日からそいつとはツレになった。

 

それから毎日遊ぶようになり、中2の俺らの移動手段は全員原付になった。

学校の近くまで原付で行って原付を隠して置く場所まで見つけた。

今思えば、学ランでヘルメットも被らず走ってるのは異様な光景だよな。

いわゆるノーヘル。

 

だけど俺らが自由に地元で遊びまわるには、難しいルールがあった。

その頃の地元では、ギャング集団があり、地元の先輩らが牛耳っていた。

俺らより遥かに年上で名前しか聞いたこともない人達ばかりで、『ノーヘル2ケツ狩り』というのを遊びでやっていたんだ。

要は原付を2人乗りしていたら、リンチされる。

原付をノーヘルで乗っていたら、リンチされる。

そんな遊びをその集団はやっていた。

 

だけど俺らは、

ヘルメットを被るのも恥ずかしくてできないし、かと言ってギャングに入るのもめんどくさいし、原付乗るならノーヘルでいたいという思いもあって、ノーヘル2ケツ狩りを恐れながらも、遊びまくってた。

 

そんな中、誰々がノーヘルで捕まって、ぼこぼこにされたという話もよく耳にした。

 

俺も1度は捕まったことがあるが、そのときはイカれた人がいなくて、少しやられたくらいで助かったが、イカれた人に居合わせるとなかなかえらい目に合う。

 

そんなことも忘れ遊びまくってた俺らは、どんどん犯罪をするようになる。

 

盗んだ原付のガソリンが減ると、その原付を捨て、また新しい原付をパクる。

それを繰り返しまくっていた。

それも盗みやすい原付っていうのは、種類が決まっていて、それこそ、その目当ての原付がその地域から無くなってしまうほどに盗んでいた。

全部で50台ほど盗んでいた。

めちゃくちゃだよな。

 

原付でコンビニにいって、タバコをカートンで頼む。店員がカートンをレジに用意して、違う種類のカートンも頼む。

店員がなかにカートンを探しに行く。

その隙に、レジに用意されたカートンを抱え、ダッシュし、外で待っているツレの原付に乗り込み逃げる。

また、かごにいっぱいに詰めた酒やつまみをそのまま大胆に持ち逃げし、原付で逃げる。

 

かごダッシュ

 

と俺らは呼んでいたが、そんなことも繰り返していた。

女の子もたくさん呼んで、みんなで公園でよく酒パ(酒パーティー)なんかもよくやっていた。

原付に乗っているとき、警察にも何度も追われたりしていたが、慣れていた俺らはへっちゃらで遊んでいた。

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わざわざ、匿名で警察に通報してパトカーを呼び、パトカーが来たとこでわざとノーヘル2ケツの原付で登場し、サイレンを鳴らしながら追ってくる警察と遊ぶ"パトゲー"もよくやっていた。

 

このパトゲーが最高に面白く、運転の上手い警察もいれば、下手な奴もいた。

上手い警察はたいていパトカーではなく、覆面といわれる、普通の車両の天井からパカッとパトライトが出るタイプのやつだった。

 

そいつがくればくるほど、俺らはドキドキし、興奮し、捕まるんじゃないかという恐怖に胸を震わせながら逃げていた。

 

原付が当たり前になり、ビックスクーターと呼ばれる250ccの大きいバイクも中2にして乗っていた。

 

中学校の時の彼女をケツに乗せ、通学したこともあったんだけど、その帰りにビックスに乗ろうとしたら警察に補導されたこともあったな。

逮捕までには至らなかったが。

 

そんな遊びを野球を辞めてから毎日繰り返し、金もないのに遊びまわっていた俺らは、ついに金を奪うことを計画する。

人から金を奪う。

恐喝や強盗だ。

 

これを実行に移したその時から、俺らは逮捕される道へと一気に近づいていく。

逮捕ってなんだ?

なんの知識もない俺らが、ぼんやりと描いていた逮捕。

その逮捕を自分がされるなんて思ってもいなかった。

 

一線を超えた俺は、ついに警察の世話になることとなる。

 

『−中学編−逮捕への道』へつづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が犯罪をするようになった時の話

よお。今日も元気にやってるか?

世の中に負けてねぇか? 

 

朝はマジでねみぃよな。

自然と起きるまで寝てたいもんだよな。

 

 お前らは、眠い目こすって電車通学か?通勤か?

チャリ、車で通勤、通学か?

俺も今日は朝から仕事だ。

やる気は出ねぇが、出すしかねぇな。

 

 今もし、安全にこのブログが読める状況にある奴は、暇つぶしにでも読んでいってくれよな。

暇つぶしくらいにはなるだろうからよ。

だけどチャリとか車での、ながら運転は危ねぇからやめとけよ。

事故ったら誰かが悲しむぞ。

 

 さて、本題に入るか。

 まずは、俺が犯罪に手を染めた時の話って話題だが、それを話すには、小学生まで遡ることになるな。

これは俺の親も知らねぇことかもしれない。

 

小学生の時にやる悪いこと。

 それはなんだ?

 多くの奴が初めに思いつくのは万引きだよな?

そう。万引きが1番初めだ。

小学生の頃にそんなことをし始めたのが、その先の人生の犯罪に対する罪悪感を無くしていった、きっかけかもしれねぇ。

 

【小学生の頃】

 あれは小学4年くらいだったかな。

 俺は3年のころから野球をやっていたんだが、そのクラブチームの友達とまったく罪悪感もなく、バレなきゃオッケー。

みたいなゲーム感覚で大量に万引きしていた。

ポケットに詰め込めるだけ詰め込んでた内は可愛いもんだ。

お菓子やらジュースやらが贅沢だったからな。

 

 それからヒートアップして

「だれが一番多くとれるか勝負な」

なんていってよ。

腰のところで閉まるダウンみたいな上着をきて、チャックをちょっとだけ開けて、そん中に全部詰め込んだり。

からしたら迷惑極まりない。

そんなことを繰り返してるうちに、バレなきゃオッケー感覚が身についてしまったわけだ。

それがこの先の、窃盗という犯罪に繋がっていくのかもしれねぇ。

 

 万引きは犯罪だが、人を殴るのも犯罪だ。

小学生の俺は、スポーツもできたし、人より身体もでかく、足も早かった。

誰よりも強い、負けないと自負していた。

今考えれば、まぁアホな考えだったな。

 

人より強いと思ってるだけのうちは良かったんだが、それを行動に表すようになり始めたんだ。

【人より上の立場にいたい】

という思いが暴力という形で徐々に出てき始めたのが小学4.5年くらいだっけな。

人を平気で殴るようになった。

ムカつくやつは殴ればいい。そしたら黙るだろ。

生意気なやつは殴ればいい。そしたら平伏すだろ。

言うこと聞かないやつは殴ればいい。そしたら言うこと聞くだろ。

そんな考えが染みついていて、気づけばダチと呼べる人間がいなくなっていた。

そんな状況になると、人間不思議なもんで、もうどうでも良くなる。

ダチがいない。

ダチのフリをしてくれるやつらしかいない。

と気付いたら、もう現状復帰しようとすら思わなかった。

「ダチなんていらない」

俺はもう、暴力的で、人を殴って人の上に立つ

そういう人間なんだって思い込んで、ここにダチは作らねぇって本気で思ってた。

そんな思いを持ちながら過ごす小学校生活は、少し寂しかった。

俺は野球をやっていて、それなりにやれてたから、そこでヒーローになっていたくらいで、他に楽しかったことはあんまり記憶にない。

ま、全部俺が悪いんだけどな。

 

 そんな気持ちのまま中学生になるわけだが、

 野球はこのまま、中学も続けてやっていくという気持ちのもと、硬式のクラブチームに入団した。

そのころ特別見た目も坊主だし、暴力的なだけで、比較的真面目な方だったとは思う。

 学校もちゃんといっていたし、土日は野球に明け暮れ、文武両道だと言って塾にも通わせてもらっていた。

これは、余談だけどそこの塾の塾長はちょっと変わった人で、だいぶ悪さをしてきたみたいな人だったから、なんか普通の塾より面白さはあったんだよな。

 野球の方は、周りからも上手いと褒められ、結果も残し、3年の全国大会に2年の時に出れて、自信も結構あった。

だけど、心の中ではもっと遊んで人より楽しいことをしたいし、学校もだるいから行きたくないっていう気持ちが結構あった。

 中1のころから、タバコにも興味をもった。

野球をやってるとタバコを吸うと体力が落ちるとか考えて、まわりの奴らが吸ってても俺は吸わなかったんだ。

だけどよ、なんだ?

欲っていうものには勝てないところもあってよ、ちょっとだけくれって吸っちまったんだな。

 そのタバコをもともと吸ってたやつは、自分の親父のタバコをくすねては吸ってを繰り返してたんだけど、俺もそれをもらうようになった。

あんまり覚えてねぇけど、最初の方なんてタバコはまずいと思いながら吸ってたと思う。

いわゆる、ただのカッコ付けだな。

 年代が合う奴らはわかるかもしれねぇけど、

そのころ、クローズとかごくせんだとかワーストっていうマンガだったり、ヤンキー映画とかマンガが結構流行っててよ。

それ見てタバコがかっこいいだとかバイク乗ってるやつがかっこいいとか憧れたりして、その延長でタバコを吸いはじめたんだよな。

人と違うことするのが、かっこいいんだって本気で思いながら。

 

結局、本気でやってた野球は中学2年でやめてしまったんだが、その時の周りの悲しみようったら今考えれば後悔もんだ。

未だに言われるんだぜ?お前はプロになれる人間だったって。

そりゃ、後悔するよな。

 親も、俺が本気で野球をやってたから、全力で付き合ってくれて、グローブやらバットやら色々買ってもらっていた。

そんなことも考えず野球をやめたわけだが、結局そこから本気でグレてしまうことになった。

 

【中学編犯罪にどっぷりハマる】へ続く。

 

ここまで読んでくれてありがとな。

俺のアウトローな人生はここから始まっていく。

自慢できる人生では全くねぇが、人が体験しねぇことまで体験してきちまったからには、それを活かして伝えることで、お前らが楽しめるんならそれでいい。

 

今日も一日いい日にしろよ。

人生はあっという間にすぎる。

一日一日大切に生きろよ、じゃあまたな。

下のボタンも押してくれよな。

 

 

Instagramやブログを始めたきっかけ

よぉ、みんな元気にやってるか?

俺は日本のどこかで元気に生き抜いてるぜ。

 

 さっそくブログを書いていこうと思うんだが、初めて書くブログになるから何から書けばいいのか、さっぱりわからねぇ。

悩みに悩んだが、やっぱり最初はこれだろってことで、なんで俺がこんな活動をし始めたのかについて書いていくぜ。

自己紹介も含めてやっていくからな。

俺がどんな人間かもみんなわからねぇと思うしよ。

 

『自己紹介』

 俺は平成の初めの方に日本で生まれ、日本で育った生粋の日本人だ。

別に親が離婚するわけでもなく、普通に育てられ普通に育った。

 小学校高学年にあがると、自分が人より暴力的な事に気づき始めたんだ。

先生にも、「あんた友達がいないでしょ」とか言われるようになってよ。その通りだったよ。

 中学になってもそれは一緒だった。

周りが気を遣って、友達でいてくれてるだけ、ってことには気付いてたんだけど、もうどうしようもねぇと思ってた。

 それで色々悪さをしてきたわけだが、初めて警察に世話になったのが中学1年の頃だったか。

その時は逮捕ではなく、なんか書類を書かされて終わった気がする。

そんで、中学2年で初逮捕

これがまた色んなことをやっちまって、色んな人に多大な迷惑をかけたんだが、この時に初めて留置場に入り、鑑別所を通過したのち、少年院に行くことになった。

これが卒業式に出れなかった原因なんだ。

それから出院し、保護観察というものを受けながら、仕事も転々とながらやってはいたが、16か、17の頃にまた逮捕。

また留置場に入り、鑑別所にいくことになった。

これは試験観察という処分で終わり、そのまま外へ帰され、保護観察がついた。

その後もまた逮捕され、留置場、鑑別所、そしてまた2度目の少年院

出院したのち仕事を頑張っていたんだが、何度かまた警察に世話になることがあった。

そこからはまあ色んなことがあったが、仕事に精を出すことができ、今では従業員2人の年商2000万の小さな会社をやり始めることができている。

 

ざっと細かなところは省いているが、自己紹介にしては十分すぎるくらいだろ。

次にこの活動を始めた経緯について話していく。

 

『なぜ、この活動を始めたのか』

 俺のInstagramのプロフィールや、このはてなブログのプロフィールにも書いてあるように、俺は逮捕歴をしっかりと明記している。顔出しはもちろんしてねぇが。

 

 『逮捕された』という事実をよく自慢するやつがいるが、そんなことをしたいわけでももちろんねぇ。それはガキのやることだ。

 俺が悪いことをしてきて、被害を被った人には本当に申し訳ないと思っているし、もちろん悪さをやってきた俺が全て悪い。誰のせいでもない。

それは当然のことだ。

 じゃあなんで、逮捕歴を載せたアカウントを作り、こんな活動をしているのか。

それには理由がいくつかある。以下の通りだ。

  1. 社会に少しでも、どんな形でも貢献したい
  2. 逮捕され、それが弱みになって縮こまらなくてもいい。闇にも光が差すってことを伝えたい。
  3. 普通の人じゃ知ることのない世界を伝えたい
  4. 逮捕された子供がいる親御さんが、子供は今後どうなってしまうのか。と心配していることに寄り添いたい。
  5. どうすれば人は変われるのか。について自論を述べたい。

こんなとこだ。

 

 俺は悪さを散々してきて、親にも被害者の方にも多大な迷惑をかけてきたんだ。本当に多大に。

その反省を元に、なにか出来ないか。

 

普通の人じゃ体験できねぇ人生を送ってきて、それを活かして社会貢献する方法はねぇか、色々考えてきた結果、このアカウントを作ることにしたんだ。

 

 俺の知るところでは、少年院や刑務所に入ったことで箔がついたと勘違いしているクソ野郎がいるが、そんなやつらは間違ってる。

 そんなせめぇ世界で、箔がついたとでけぇ面して歩いてなんになる?

お前が犯した罪の被害を被った人はどうなる?

 

そうじゃなくて、逮捕されたことによる反省と経験を活かして、誰かしらの役に立った方がいいだろ?

そんな思いで、俺はこのアカウントをこれからも続けていくつもりだ。

是非、応援してほしいもんだ。

 

ここまで読んでくれた読者のみんな、ありがとな。

次から何を書いていこうか迷っているが、もしリクエストがあればコメントしてくれ。

そのテーマに沿ったことを書いていくし、もし無ければこっちで考える。

Instagramのフォローもよろしくな。

 

今日も一日、いい日にしろよ。